「工夫してやる練習が好きだった」 昭和49年(1974年)卒業 植田恭史
お正月の風物詩で有名な箱根駅伝(正式には、東京箱根間往復大学駅伝)を主催する団体の関東学生陸上競技連盟の会長をしています。毎年、多くの方が沿道で応援してくれて感謝しています。また、テレビでも往路・復路の2日間にわたり多くの方に視聴していただきありがたく思います。
私は、地元の浜岡町比木で生まれ、高校まで住んでいました。中学から三段跳びを始め、池高に入学してからも三段跳びを続けました。中学時代は、不真面目な部員でよく練習をさぼっていましたが、池高に入ってから友達と一緒にする練習がとても楽しく一生懸命になりました。1・2年生の時は、ケガや病気で競技成績はぱっとしませんでしたが、3年生の春に記録が伸びしました。
その理由は、2年生の冬に、あることからひと月ほど部としての練習が禁止となり、実家近くの神社の階段で秘密練習をしたことでした。練習を工夫してやるのが面白く、80段ほどの階段を、2段ぬかし、3段ぬかしで駆け上ったり、片足でケンケンして跳び上がったりしたことを憶えています。みるみるうちに筋肉がつき、足のバネがつき、三段跳びの記録が伸びました。
今でも実家に帰ると、かつて練習した神社を訪ねることがあります。暗くて寂しい雰囲気で、「よくこんなところで練習していたな」と想い出に浸り、この場所が「三段跳びの記録が伸びる転機となったところだなあ」と感慨に耽ります。
運よく、1984年第23回ロサンゼルス・オリンピックの日本代表になりました。多くの方の応援を受け出場しましたが、自己記録に遠く及ばず予選敗退で終わりました。その2年後、31歳で選手を引退しました。その後、母校である東海大学へ戻り、34年間の教員とコーチ生活を終え、現在、関東学生連盟の会長として箱根駅伝のスターターを務めています。
〒259-1201 神奈川県平塚市南金目18-3
℡0463-59-2688






















