100 年の想いを未来へ
池新田高等学校 同窓会
2019年に創立100周年を迎えた母校。
池新田高等学校同窓会は、諸先輩方から受け継いできた歴史を未来につぎながら、
在校生、同窓生、地域の皆様に寄り添い、活動しています。
このサイトでは、同窓会の活動や同窓生のニュースなどを発信しています。
2019年に創立100周年を迎えた母校。
池新田高等学校同窓会は、諸先輩方から受け継いできた歴史を未来につぎながら、
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来年3月のミラノ・コルティナ冬季パラリンピック代表に内定した坂下真里選手(牧之原市在住)は、平成23年3月池新田高校の卒業生です。高校時代は、ソフトボール部で投手として活躍していましたが、卒業後、平成27年に事故で左足ひざ下を失いました。その後、職場の仲間や友達の励ましでスノ―ボード競技にチャレンジ。5年前に競技者となり実力を伸ばし、今年3月の世界選手権バンクドスラロームで7位に入賞しました。このほど、いちはやく女子日本代表に競技内定しました。
地元・牧之原市では坂下真里選手の後援会の準備をしています。池高同総会でも、応援していきたいと思います。
2025年10月22日(水)15:30~17:30 「第5回くつろぎカフェin丸尾記念館」が開催されました。小雨模様で急に冷え込んだこの日、インフルエンザなども流行り始めている中、どのくらい生徒が来てくれるのか心配しましたが、約70名の生徒や先生方が丸尾記念館を訪れました。
毎月300万人のインバウンド客が訪日する時代、池高生には、池高ならではの丸尾記念館を活用して、日本文化を身に着けて欲しいと願っています。
池高茶道部15名の皆さんやボランティア部5名の皆さんが茶席を運営し、講師の赤堀みち代先生(池高出身)が丁寧にお茶席での作法をして指導してくださいました。今回、丸尾記念館の藤田館長に手配して頂いたお茶席の和菓子は、季節の栗をかたどったお菓子。生徒からは、美味しかったと多数の感想が寄せられました。生徒たちは、茶席の後は、歓談席で生徒同士、先生方、同窓会役員らと交流し、学校内とは違った楽しいひとときを過ごしましました。同窓会からユニフォームを支援したダンス部のメンバーも同窓会への挨拶に来てくれました。
「第5回くつろぎカフェin丸尾記念館」協力/御前崎市教育委員会、池新田高校、池新田高校茶道部、ボランティア部へのご協力ありがとうございました。
同窓生会の皆様へ。
このたびは同窓会総会の開催、おめでとうございます。
私は現在も、モザンビークやマラウィの子どもたちの教育支援に携わっていますが、学ぶ機会が限られている環境にいながらも一生懸命学ぶ子どもたちを見て、学ぶことの大切さを感じるとともに、時々私も池高で過ごした日々を懐かしく思い出します。
今、在校生の皆さんに伝えたいことは、貴重な高校生生活、たくさん学び、そして楽しんでください。池高という場所が、これからの人生の支えとなることを願っています。
同窓生の皆さま、在校生の皆さんのこれからの歩みに、たくさんの希望と笑顔がありますように。
高普18(昭和43年卒業) 栗山さやか(NPO法人アシャンテママ代表)
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高校3年間は人生にとって最も濃い思い出になりますから、一日一日を大切に過ごして下さい。また将来何にどんな風になりたいかも大切な時期と思います。ぜひ世界に羽ばたいて下さい。
今年の4月にカブス(シカゴ)とドジャース(カリフォルニア)の試合が有りました。その前の日に店を貸切で営業しました。この日は日本人選手のみでした。内密という事で写真はありません。その他は菊池選手、前田選手が食事に来てくれました。
皆さんもシカゴに来たら「シカゴ・カルビ」にお立ち寄りください。・
高普20(昭和45年卒業) 戸塚 功(シカゴ・カルビ経営)
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令和7年度池新田高校同窓会総会が盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
池新田高校は大正8年からの歴史を着々と刻んでいます。その長い間、「礼譲」、「勤労」、「協同」の校訓のもとで、池新田高校は地域の高校生が十分な実力・人間力を育む教育を繰り返してきました。毎年毎年優れた人材を社会に輩出してきました。一方で、池新田高校同窓会は、年毎の卒業生を時間軸で結びつけ、卒業生どうしの親睦・情報交換や母校の支援などを推進し続けてきました。
私は、昭和40年4月に池新田高校に入学し、昭和43年3月に卒業しました。広々とした構内をゆっくりと流れた池高時間のもとで、先生方は熱心に丁寧にご指導くださいました。いつも前向きな同級生・同期生にも恵まれました。基礎を学んだ楽しい3年間でした。今、高齢になり、もの忘れが多くなりました。それでも、池高での生活を忘れることは決してありません。池高に進学できて良かったです。
たまたま、この6月1日(日)に浜岡球場で池新田高校対横須賀高校の野球定期戦があり、母校を応援する機会に恵まれました。池新田高校は長打・単打に巧みな走塁を織り交ぜた活発な攻撃で19点をあげました。守備は手堅く5点に抑え、7回コールドで快勝しました。躍動する若きプレイヤーの姿や動きは実にきれいで、たくましく感じました。日頃の熱心なトレーニングが推し測れました。
魅力に富む池新田高校は、卒業生や地域の皆様にとって「応援し甲斐」があり、教職員にとって「教え甲斐・働き甲斐」があり、生徒にとって「学び甲斐」があります。夢と希望を実現する池新田高校のさらなる躍進を願っています。
池新田高校同窓会がますますご発展されますように願い上げます。同窓会役員や会員の皆様のご健康と一層のご活躍を切にお祈り申し上げます。
高普18(昭和43年卒業) 大石修治 (信州大学特任教授、長野県高等教育連携推進役)
私は池新田高校時代にテニス部に所属していました。学生時代から体を動かすことが好きで、練習や試合を通じて日々の成長を実感する充実した時間を過ごしました。仲間たちと目標に向かって努力する経験は大きな財産となり、現在の私の原動力となっています。テニスを通じて培った精神力や忍耐は、その後の仕事や人生においても貴重な糧となりました。
高校を卒業後、私は地元の企業に就職しました。現在も会社員として勤務しており、仕事においても責任感と向上心を大切にしています。社会人としての生活は挑戦の連続ですが、試行錯誤を繰り返しながら取り組むことで、道が開けていく喜びを感じています。この地元で働くことで、地域とのつながりや絆を深めることができたことを嬉しく思います。
趣味としては、昔からスポーツを楽しんできました。特に20代の頃からボーリングやバドミントン、ダーツに熱中し、それぞれがもつ異なる魅力を堪能していました。スポーツを通じて心身をリフレッシュし、新しい人とのつながりを築くことができたのも大きな収穫です。スポーツはただ競技として楽しむだけでなく、自己成長や友人との交流、ひいては活力を生み出す源となり、人生にポジティブな刺激を与えてくれる存在です。
そんな私の人生の転機となったのが、42歳で劇団静岡県史に入団したことです。それまで演劇に触れる機会はほとんどありませんでしたが、この劇団との縁をきっかけに新しい挑戦が始まりました。俳優としてのデビュー作となったマシュー・ペリー役では、観客に感動を届けるという新しい使命を初めて感じました。この経験を通じて、自分が舞台上で表現することの喜びや責任を知り、演劇の奥深さに引き込まれていきました。
その後、徳川家康、二宮金次郎、岡田良一郎など地元の歴史に名を刻んだ偉人たちを演じる機会をいただきました。役柄を通じて地域の歴史や文化を学び、その魅力を舞台の上で観客に発信することは非常にやりがいがあります。偉人たちの生き様を自分の演技で表現することで、観客の心に語りかけられる喜びを感じています。演劇活動を通じ、地域の継承や文化の発展に少しでも貢献できていることが私の誇りです。
私の人生はスポーツから始まり、演劇を通じて新しい自分と出会うことができました。これからも自分自身を磨きながら、地元に根ざした活動を続け、多くの人々に感動を届けられる存在でありたいと思います
〒436-0222 静岡県掛川市下垂木351135
090-7865-8072
勤務先 株式会社キャタラー
劇団静岡県史 劇団員
夫婦二人で営んでおり、なるべく地元の食材を利用しなんとかやっております。
料理は御前崎で海も近いということもあり、魚料理が多めかと思います。
なかでも土鍋ご飯が人気で、金目鯛、和風パエリア、魚ではないですけれど、遠州一黒シャモ、季節によっては栗、桜エビ、牡蠣、等を土鍋で炊いて提供しています。
さてさて高校時代は、中学から続けていたバスケットボール部に所属しその時の仲間や、クラスメイトとは今でも良くさせてもらっています。何をしたってわけではないですけれど、同じ時間を一緒に過ごした思い出は年齢を重ねても色褪せないものです。
まさに今いくつか思いだしましたし、書くのもたまには良いですね。
学生の時は、部活動、交友、DJなんかにも手を出し、勉強よりも遊びに時間を費やしていた気がします。駄目なヤツですね。今でも音楽は好きで時間があれば趣味程度ですけれど楽しんでいます。音楽って良いですよね〜。
しかしながらこの歳になってやっと、勉強はなんでもよいので続けていることが大切と身に染みているところです。
高校卒業後は実家が美容室ということもあり、美容の専門学校に行くことを決め東京に。
専門学校では、地方から集まる変わった人、自分より年齢が高い人、お洒落な人、派手な人、賢そうな人、本当に今まで会ったこともないような人達の集団でした。確か二千人位いたような。
今でもこの価値観の違い過ぎる人達との交友関係が大変役に立っています。
ですが卒業後は自分に合ってないと思い、一度も就労しないまま飲食店でのバイトを始めました。音楽は好きで飲食店に勤めながらレコードを買い漁る日々だったことを思い出します。その頃ですか、ようやく自分で考え出す様にもなったのも。
どうやったらクラブでDJできる?とか。
飲食店の事も考えましたよ。
居酒屋、バー、カフェ、レストラン、日雇いでヤマトなんかもやってました。
途中嫌になりアパート解約して、群馬に住み込みで農業にも行きました。
結局東京には13年住み、そこで妻、さっちゃんとも出会い御前崎に戻ってきました。以前から地元で何かやりたいと思っていた為です。
一ヶ月くらいボーッとして、御前崎の先にある海鮮料理屋さんで働かせてもらいそこで魚の勉強をしました。
捌く量が多かったため短期間でそこそこ上達できたと思います。併せてフグの免許も取る事ができラッキーでした。
掛け持ちで菊川のジビエが得意な料理屋さんにも行き学ばせてもらってました。
休みの日は、今は亡きおじいちゃんから引き継いだ畑で自家菜園もやり夫婦で汗かきながら鍬で耕し遊んでいました。
今ではお店を持つ事ができ、ありがたい事に忙しくさせてもらい畑は草でいっぱいになり残念な事になっています。
でもいつか畑を再開したい!!と思っています、約束したので。
自分が今かたちになっているのは、今までの経験の集合体です。突然新しことは自分には難しです。日々何気ない行動が将来役に立つ場合もあります。
自分の理想は、気になった事はできるだけ行動し、思考を常に新しい状態に保つです。
難しいですが、それを継続できたら何か想像もつかない楽しいところへ行ける。と思い行動して確かめている真っ最中です。
当時、専門の時の友人が言ってました。『人生はおもいでづくり』だって。
〒437-1612 御前崎市池新田1832-2
0537-86-9839
卒業して57年が経った。池高での思い出と言えば特に、3年F組の仲間たち、修学旅行、砂丘マラソン、木造二階建て学び舎です。
私もみんなもいい年になりました。そんななかで、いつも心がけてきたことがあります。神頼みです。家の神棚への拝礼や神社への参拝でも必ずお願いしてきたことが3つあります。
その一つは「家族の健康」です。まず自分の健康のことからです。警察官は体力勝負の世界です。
運動はといえばジョギング歴45年です。今も毎朝10キロの日課を続けています。高じてホノルルマラソンやニューヨークマラソンなども完走しちゃいました。
ただ高校のときは部活には、なかなか打ち込めず、ほとんど帰宅部でしたので、片道10キロの自転車通学は唯一の運動だったのかもしれません。
今は、社交ダンス、剣舞、エアロビクス、ジム筋トレもやっています。妻からは「やりすぎよ」と言われます。栄養については、テレビや本のとおり食事バランスに心がけています。話題になったゴマ、生姜、黒酢、きな粉、納豆なども食事に取り入れています。
そんなわけで、二年前に大腸がんを患った以外は大病もなくてほどほど健康です。家族もそうあることをいつも願ってきました。
その二つは「家族の円満」です。妻一人、子ども3人、孫10人ですが、このうち孫には三つ子ちゃんもいます。ただ私は元警察官なので、転勤族として東は東京、西は県境の新居町まで37年間飛び回りました。子どもは転校を繰り返し、その挙げ句に私は単身赴任もあり、妻子には苦労をかけました。家を守って子育てしてくれたのは、妻のおかげです。感謝ですよね。でもいつも家族みんなのことを気にかけ、できるだけ電話や対話することを心がけてきました。
それから今は家庭菜園でとれた新鮮な野菜を子どもと孫に届けています。現在は、妻と二人暮らしですので、お盆やお正月などに集まると、本当にうれしいものです。
その三つは「仕事の円滑」です。学生のときは勉強、現役のときは仕事、退職後もボランティアがあって、いつも課題が必ずあります。順調にいけばいいけど、いくら努力してもうまくいかないときがあって「いやになる」ことがあります。何回か壁があって悩み、ノイローゼ寸前のときもありました。これをいかに克服していくかでした。「治安の闘士」として仕事を簡単に投げ出せません。私が心掛けてきたことは「あきらめるな」「まず一歩踏み出せ」です。この問題解決能力があったからよかったかもしれません。
幸運にも、警察署長もやれた。瑞宝双光章の叙勲も受章できました。特に妻同伴で皇居に行って天皇拝謁できたことは大きな喜びでした。
こうしていままで大過なくやってこられたのは、池高同級生やいままで接してきたみなさんのおかげです。
神頼みとその実践とは切り離せません。ある本では「幸せ」とは、死ぬときに「あーあ 俺の人生 幸せだったなあー」と思えることだそうです。
これからも、神様へのお願いとともにそれに向かって努力していきます。
〒437-1501菊川市丹野481-7
TEL 0537-73-7889
高校生当時は柔道部、美術部に所属しており、特に幼少期から絵やイラストが大好きでした。
それもあり、「イラスト等を仕事にできる仕事って何だろう?」と調べ、「工業デザイン科」という工業系のデザインの勉強をする短大に進学しました。絵の勉強をしながら、工業系の会社を選択するというものでした。例えば分かりやすいものだとクルマのデザインとかですね。
そして短大で勉強する中で「広告デザイン」というお仕事を知りました。
簡単に言うと折り込チラシやポスター、テレビのCM等、企業の広告全般をつくるお仕事で、自分が売りたい商品を買ってもらえるよう、もしくは知っていただいて集客できるように、宣伝や告知をするお仕事ですね。
当時はまだアナログの手書きでチラシやポスターを制作していた時代だったので、広告代理店に就職してからも毎日楽しく遅くまで仕事をしていた事を覚えています。その後Macというパソコンでデザインを制作するようになりました。
広告代理店3社に務めて、30代中盤ぐらいに独立して自分の会社「グランロード」を設立しました。
とにかく毎日忙しかった記憶しかないですが、徹夜で朝方までの仕事は当たり前で、日々過ごしていましたが、好きな仕事だからこそまったく苦にはならなかったですね。むしろ毎日が楽しかった(笑)
そんなお仕事をする中で、あくまで趣味でやっていた2つの事がありました。
ひとつはマンガやイラストを書く事、そしてもうひとつは格闘技です。
格闘技は近くにあるスポーツジム「スポーツクラブS&C」さんで週1回レッスンとして元プロボクシングの日本チャンピオンの方が教えてくれていました。
毎週レッスンを受けるうちに自分で試合もしたくなり、OFB(おやじファイトボクシング)という全国の大会に出るようになりました。
40才代のカテゴリで私が45才から49才ぐらいまで全国の大会を飛び回っていましたね。
ウェルター級とスーパーウェルター級の全国中部地区で2階級制覇のチャンピオンになり、最終的に日本一の決定戦で、プロボクサーの聖地である東京の後楽園に行かせて頂き、日本タイトル戦も3回挑戦させていただきましたが、残念ながら日本一は獲れずに終了しました。
結果は伴わなかったですが、とても楽しかったのは、50才間近で、中学や高校生のような青春の日々を体験させていただいた事ですね。
これから社会に出る方、もしくは進学する方達にお伝えしたいのは、仕事でも遊びでも、パートナー選びでも、何でもそうですが、心から大好きな物事や人と関わることです。
そうすれば人生は数倍から数十倍楽しく、幸せな毎日になることは間違いないと思います。
「自分の大好きを探す」 これが若い方達の未来を大きく幸せにしていく秘訣だと今でも信じていますね。
〒439-0026 菊川市西横地18-1
㈱グランロード tel.0537-26-9001
【検索】グランロード
故郷である菊川市嶺田にパン工房ふくふく堂を開店して2年になります。
池新田高校に在籍していた3年間は、高校から始めた吹奏楽に費やした時間が、記憶のほとんどを占めています。
当時一緒に音楽に向き合った仲間たちは、それぞれの道に進んだ今も、大切な私の友人です。
卒業後は浜松にある製菓製パンの専門学校に進学し、同じ浜松に拠点を置く製パンの会社に就職しました。
結婚、出産を機に10年以上製パンの仕事からは離れておりましたが、子どもたちの成長もあって再び製パン業界に復帰。良い職場や仕事仲間にも恵まれ、このまま会社組織の一員として頑張っていく未来も見えてきたころ、実家近くに空き店舗が出たことを知りました。
私はまだ独立できるような実力ではないと思いましたが、「これが最後のチャンスかもしれない」とも思いました。
いつか自分の人生の終幕のときに、「夢を叶えてみたかった」と言って終わるのだろうか。叶えられなかった理由はなんだろうか。ただ自分に踏み出す勇気がなかったことを、実力、お金、家族、健康、年齢、もっともらしい理由をつけて目をつぶる、そんな終わり方を自ら選ぼうとしている私は、子どもたちの目にどんな風に映るのだろうか。
そこまで考えたところで、独立を決めました。
今振り返ると無謀な挑戦ではありましたが、力になってくれたのは、高校時代の友人たちでした。2時間もかかる距離をわざわざ出向いてくれたり、何度も相談を聞いてくれたり、四半世紀も前に数年学び舎を共にしただけの私のために、入れ替わり立ち代わり。
なんとか軌道にのせられたときには、一緒に飛び上がるほど喜んでくれました。
今たくさんのお客さまに出会い、日々パンを焼いて暮らすことができるのは、数え切れないほどの応援や協力があってのことです。
その感謝と喜びを忘れず、この町でこれからもお客さまの日常に溶け込むパンをお届けしていきたいです。
鈴木麻希(旧姓・山内)
2000年(平成12年)卒業
パン工房ふくふく堂 店主
菊川市嶺田286-1