100 年の想いを未来へ
池新田高等学校 同窓会
2019年に創立100周年を迎えた母校。
池新田高等学校同窓会は、諸先輩方から受け継いできた歴史を未来につぎながら、
在校生、同窓生、地域の皆様に寄り添い、活動しています。
このサイトでは、同窓会の活動や同窓生のニュースなどを発信しています。
2019年に創立100周年を迎えた母校。
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2025年3月3日(月)、池高体育館で、令和6年度卒業証書授与式が行われました。午前9時40分、名倉校長を始めとする先生方、卒業生父兄、来賓の下村勝御前崎市長、PTA役員、同窓会役員が列席する体育館に、令和6年度卒業生100名(男子46名、女子54名)が「G線上のアリア」のメロディに乗せて厳粛な面持ちで入場。担任の先生が呼び上げる名前に応えて一人一人が起立した後、名倉校長から、卒業生代表の杉田陸君に卒業証書が渡されました。
校長の式辞のあと、後援会長の下村御前崎市長と下村PTA会長が来賓祝辞を贈り、在校生代表の2年生の横田陽菜さんが先輩を贈る送辞。そして同窓会年次委員の一人・松本穂乃香さんから3年間の学校生活を回想しながら、先生方や両親への感謝の言葉を語りました。
この日は、10時過ぎから風雨が体育館を打ち付ける悪天候となりましたが、松本さんのはっきりとしたさわやかな答辞には、とても感動させられました。
私たち同窓会も、新たな生活に旅立つ卒業生100名に熱いエールを贈ります。
2025年2月28日、同窓会入会式のあと、12時から、しぶき寮にて、令和6年度卒業生の中から選出された同窓会年次委員と同窓会役員との懇談会が開かれました。
同窓会と各学年のコミュニケーションを円滑に促進するために令和5年から各クラス2名の年次委員が選出されています。
令和6年度の年次委員は、31HR 加藤月世登(つきよみ)君、澤入ゆらさん、32HR 秋野孝太郎君、岡本瑠香さん、33HR 清水唯さん、松本穂乃香さん の6名。所用で出席できなかった澤入さん以外の5名が出席し、同窓会役員(丸尾会長、萩原副会長、松井副会長、横山事務局長、村松事務局員)と、「まるよ茶屋のお茶の葉ハンバーバーグ弁当」やお菓子を食べながら、約1時間にわたり、和やかに懇談いたしました。
年次委員の皆さんには、各クラスメンバーとの連絡の中心になり、今後の同窓会活動を積極的に応援してもらいたいと思います。
2025年2月28日(金)午前10時20分から、3月3日(月)の卒業式リハーサルのあと、100名の卒業生と名倉靖之校長、3年の担任の先生方が出席して「池新田高校同窓会入会式」が池高体育館で開催されました。
横山夏日子事務局長の司会により、まず丸尾正同窓会長が挨拶。「同窓会とは何か?」を卒業生に説明、今年は同窓会名簿の改定の年にあたるため、同窓会名簿の完成が来年春に郵送されることなどを説明。「同窓会の2万人のネットワーク」を活用してこれからも大切な人と人のつながりをつくって欲しいと伝えました。また、昨年度より各クラスから2名ずつ同窓会年次委員を任命して同窓会活動に協力をお願いしました。
名倉靖之校長の同窓会入会の祝辞のあと、卒業生を代表して加藤月世登(つきよみ)君が同窓会入会の言葉を朗読、同窓会からは、入会記念品(卒業証書入れ)を手渡しました。
オペラ「蝶々夫人」を生涯2000回演じたプリマドンナ三浦環の父親は御前崎市出身、母親は菊川市出身です。御前崎市では、「三浦環像建立実行委員会」を設立して募金活動を続けてきましたが、2025年2月8日(土)に三浦環像が完成して御前崎市民会館で、多くの市民立ち合いの中、除幕式が行われました。
太平洋に向かい和服姿で歌う三浦環の銅像を製作したのは、浜松市在住の増田幸雄さん(昭和48年1973年卒業、元浜松市美術館館長)。増田さんの作品は、御前崎市立図書館会アスパルや浜岡中学にも建ち、御前崎市民にも親しまれています。
今回の募金活動には、池新田高校同窓会も協力させていただき、芳名板にも名前が刻まれています。
2025年2月23日(日)御前崎市民会館で上演される御前崎市制施行20周年記念コンサート「≪歌劇≫新野の子守歌~情けの武将、新野左馬助公の物語~」の作曲・指揮を池新田高校 第54回(2004年平成16年)卒業生の石原久章さんが務めます。
石原久章さんは、武蔵野音楽大学大学院声楽家卒業後、テノール歌手としてオペラ公演への出演や、合唱団の指導などに活躍してきましたが、作曲活動は初めてだそうです。オペラ歌手や市民合唱団など約60人を束ねて23日の「新野の子守歌」公演に向けて稽古を重ねています。
御前崎出身の偉人・新野左馬助を描く新作オペラ公演に、同窓生の皆さんもぜひお出かけください。
入場料は、大人1,500円(当日券2,000円)、高校生以下1,000円(当日券1,500円)。
チケットは、「新野の子守歌創造プロジェクト事務局TEL0537-86-3433(ひと休み処つくし)、御前崎市立図書館アスパルTEL0537-86-8181、御前崎市市民プールぷるるTEL0537-63-0195、兵藤楽器TEL」0537-86-2810 で販売しています。
■2025年2月23日(日)13:15開場、14:00開演
■御前崎市民会館(御前崎市池新田5585)
故郷である菊川市嶺田にパン工房ふくふく堂を開店して2年になります。
池新田高校に在籍していた3年間は、高校から始めた吹奏楽に費やした時間が、記憶のほとんどを占めています。
当時一緒に音楽に向き合った仲間たちは、それぞれの道に進んだ今も、大切な私の友人です。
卒業後は浜松にある製菓製パンの専門学校に進学し、同じ浜松に拠点を置く製パンの会社に就職しました。
結婚、出産を機に10年以上製パンの仕事からは離れておりましたが、子どもたちの成長もあって再び製パン業界に復帰。良い職場や仕事仲間にも恵まれ、このまま会社組織の一員として頑張っていく未来も見えてきたころ、実家近くに空き店舗が出たことを知りました。
私はまだ独立できるような実力ではないと思いましたが、「これが最後のチャンスかもしれない」とも思いました。
いつか自分の人生の終幕のときに、「夢を叶えてみたかった」と言って終わるのだろうか。叶えられなかった理由はなんだろうか。ただ自分に踏み出す勇気がなかったことを、実力、お金、家族、健康、年齢、もっともらしい理由をつけて目をつぶる、そんな終わり方を自ら選ぼうとしている私は、子どもたちの目にどんな風に映るのだろうか。
そこまで考えたところで、独立を決めました。
今振り返ると無謀な挑戦ではありましたが、力になってくれたのは、高校時代の友人たちでした。2時間もかかる距離をわざわざ出向いてくれたり、何度も相談を聞いてくれたり、四半世紀も前に数年学び舎を共にしただけの私のために、入れ替わり立ち代わり。
なんとか軌道にのせられたときには、一緒に飛び上がるほど喜んでくれました。
今たくさんのお客さまに出会い、日々パンを焼いて暮らすことができるのは、数え切れないほどの応援や協力があってのことです。
その感謝と喜びを忘れず、この町でこれからもお客さまの日常に溶け込むパンをお届けしていきたいです。
鈴木麻希(旧姓・山内)
2000年(平成12年)卒業
パン工房ふくふく堂 店主
菊川市嶺田286-1
人生流転 本間克彦 高普10(昭和35年卒業)
昭和35年3月、新社会人として静岡の会社に就職した。寮生活である。12月、初めて竜爪山に登った。好天に恵まれ特大の楽しさと喜び、深い感動と達成感に胸は大きく膨らんだ。それ以来、今日に至るまで山に登っている。
昭和51年、34歳で浜松に「ほんま酒店」を開業、妻と懸命に働いた。その後、酒類業界は社会状況の劇的な変化によって衰退し、平成16年廃業した。その間、昭和61年には、岳友3人と「青春山の会」を結成し、名だたる多くの山へ登った。平成18年に休会となった。それまでの登山の記録を平成14年に「私の山 みんなの山」、平成21年には「私の山 みんなの山 四季の山うた」と題して自費出版した。
平成20年1月、町内にハイキングクラブを立ち上げ、中高年者男女で年6回、近隣の里山や低い山の登山を楽しんでいる。他方、平成19年11月、民生委員を80歳まで15年間務め貴重な体験重ねた。
酒屋を廃業してから無職なり、62歳の時にマンドリンを習いハーモニカと共にデイサービスや老人会などへ歌のボランティアを始めた。季節に相応しい童謡や唱歌を歌うのである。73歳になってクロマハープを学び、3つの楽器を奏でて歌のボランティアを続けている。
令和元年1月、町内に「歌声サロン」を作って高齢者ばかり月1回公会堂で歌っている。
数年前から、これまで生きてきた人生への「報恩感謝の念」を深く考えるようになった。家族、故郷の人々、山仲間、地域の人たちへの感謝と恩返しである。池高創立100周年記念事業募金では、躊躇なく応じた。それは学び舎への感謝と恩返しであった。町内の寄付などにも進んで応えた。それらは、みんな自分が生きている間に「報恩感謝の念」として実行したいと考えているからである。
登山と歌のボランティアと歌声サロン、これからも長く続けていきたいと思っている。
〒435-0052 浜松市中央区天王町1411-1
電話053-421-9386
卒業後、料理人になろうと東京へ。その後、5年たった時に知人の紹介でアメリカに来ました。
アメリカに来て最初の3年間は夢を見ているような毎日でした。なんせ学生時代は英語が苦手で希望と不安の毎日。人生は勉強だと悟りました。
アメリカ・シカゴで焼肉屋を始めてすでに35年。当初は、苦労の連続でしたが、シカゴに進出している銀行、商社マンの間で、日本風の焼肉が食べられる店という口コミが拡がって、多くの人たちに来ていただける店になりました。とにかく私は人と人の繋がりを大切にしてきました。
そして今、シカゴ韓国街の『Chicago Kalbi』は、遠征中の日本人メジャー・リーガーや、NBAのバスケットボール選手なども訪れる店になりました。
かつてイチローさんはシカゴに来ると必ず寄ってくれました。ダルビッシュ選手、松井秀喜さん、松坂大輔さん、菊地雄星選手、テニスの錦織圭選手、バスケットの八村塁選手、渡辺雄太選手・・‥今年4月には、ドジャーズの大谷翔平選手、山本由伸選手も来てくれました。
池新田高校同窓生の皆さん!アメリカ・シカゴに来た時には、ぜひとも「シカゴ・カルビ」にお寄りください。
2019年には、同級生で、箱根駅伝に出場し東海大浦安高陸上部監督を務めた増田博康君や元警視庁勤務の筒井和男君が店に来てくれました。「シカゴ・カルビ」で池新田高校時代の話ができるのは本当に嬉しいですね。
戸塚 功 (高普20・昭和45年)
3752 West Lawrence Avenue, Chicago, IL 60625 アメリカ合衆国
(773) 604-8183
携帯080-6512-7180
思えば、小中高と勉強は嫌いでした。いわばコンプレックスの塊でした。幼い頃、父の歌と小学校の担任の平松先生の見よう見まねの「サンタルチーア」は今でもよく覚えてます。音楽の時間だけは好きでした。小6の時から、池新田から菊川の赤堀庄太郎先生(初代アエル館長、鍵盤ハーモニカの父)の元に通いピアノや歌の手ほどきを受けました。
当時は、歌が声楽でオペラという事は想像もしませんでした。喜びどころか地獄の人生のはじまりでした。
中学3年から、東京まで毎月片道6時間、池新田からバスで菊川、電車に乗って静岡、静岡〜小田原、小田原〜成城学園前から徒歩30分!そしてレッスンは40分。新幹線がまだ開通してない頃からでした。
ある時レッスンに行くと、スーツを着た立派な紳士が素晴らしいバリトンで有名なアリアを見事な声で演奏していました。あまりの声量にビックリ、声もでませんでした! すかさず、サインを求めたところ、「君、僕はこれから芸大を受験するんだよ」と。「僕も・・」と、いいかけて口を噤んでしまいました。
それから、奇跡が起こりました。その彼とは芸大の同級生になり、卒業後、一緒にイタリアへ旅立ったのです。およそ20年間のイタリア生活から帰国して得た結論は、些細で難解で不可能な言語の違いでした!息と音が同時の日本語に対し、音で会話するイタリア語との差でした。現在のYouTubeなど発達した映像を観てしても、それは理解できません。残念ながら、現在の最高学府においてもです。
現在の私は、最初のコロナ禍の犠牲者の一人でした。甲状腺検査が三年間できず、その間に甲状腺癌になり、三度の手術で声帯をはじめ呼吸器官全て切除することになり、オペラ歌手人生は終わりました。声帯と命。家族が居なければ私は躊躇なくオペラ歌手を全うしたでしょう。今は話をすることができません。
現在は、片言のシャント発声で分かりやすく生徒に説き、後は本人任せです。本人が気持ち良く、感じ、私が正解かどうか耳で判断し、様々なテクニックを具体的に教えます。難しくて抽象的な教え方はいけません。
そんな私の生徒は増える一方です。例の解決法を学ぶ為に、こんな事が起きるなんて、誰が想像できたでしょうか。僕の生徒に音大出は一人もいません。全くの素人が一年未満でオペラコンサートに出られるようになります。あっという間に素晴らしい立派な声を得るのです。私が身に着けた簡単なテクニックを教えます。命ある限り、誰にでもアドバイスします。私が長い人生をかけて得た究極の発声法をお教えします。歌に興味を持って勉強されたい方、また現在勉強している方がいらしたら、ぜひ私のレッスンを受けてみて下さい。
最後に僕が素晴らしいバリトン歌手とイタリアへ行き、信じられない多くの経験ができた事は、池新田高校に進学出来たお陰だと思っています。楽しい学友、理解を示して接して頂いた先生方、皆さんの温かいご協力無しにはなし得なかった事と心より感謝しています。
〒141-0022
東京都品川区東五反田5-5-18
03(5789)2515
080-6557-0502
ARAI VOICE SOCIETY
私は団塊の世代に旧大浜町で生まれたものであり、とにかく、高校は自転車通学が基本であった。我が家は父、叔父、兄も池高一家だったため、特に考えもしないで池高に入学した。
在学中の印象はクラス対抗の合唱コンクールがあったが、我がクラスのリーダーから君は口だけ開いていれば良いと言われた。その甲斐あって2年生、3年生と連続して優勝することができた。それ以外はここで話すようなことは無い。
池高卒業後、会社に45年間勤め退職した。現在の世相について、知らないより、知っている方が、生きていく上で対策が取れる。そんなことで私の考えていることを少しお話させて頂く。
知り合いから、「元気が良いね」、と言われた時、「死ぬまで生きる」からね、と答える。元気が良いと言っても色々あるからね、体力なのか、口先なのか、はたまた呑みっぷりなのかこの世に生まれて来たものはいずれ死が来る。したがって「死ぬまで生きる」は正解である。
2024年、日本のスタートは悲惨な状態であった。本年特に気をつけることは南海トラフ地震だ。津波は東日本大震災の3倍と言われているが、東日本大地震が最大14.8mとすると ×3→ 44.4m となる。たまたまであろうか、不吉、不気味にも4が三つ並んだ。
また、1703年12月16日の富士山の噴火は、宝永地震の発生からわずか49日目のことだった。2024年はその大災害の年から321年目になる。(カウントタ゛ウンの予告か)
奇しくも2024年1月1日、南海トラフ地震の前触れか、その兆候が能登、北陸に大きな被害を伴って現れ、1月28日には東京湾を震源とするM4.8、東京、神奈川で最大震度4を記録した。各地で地震の発生が継続することにでもなれば、2025年は真に危険な年となる。(2025.7 大災害予言 たつき諒「私が見た未来」より) まさにこの2024年は、地震・津波と噴火の対策を講じることこそが最重要課題であると言える。
次にTHE WORLD AHEAD 2024 『エコノミスト誌』の表紙イラスト(図) から2024年の世界はどうなるか読み解いてみたい。これにはすでに専門分野の人達が解説しているので、ここでは、その重要な点を私独自の見解を含めて考察してみた。
まず円中央を見ると投票用紙箱がある。2024年は「選挙イヤー」であり、アメリカ、ロシア、メキシコ、韓国、インドなど実に世界の70カ国のリーダーの選挙がある。70カ国のリーダーが一度に交代したら世界が激変する。その上に砂時計があるが、残りの時間は短くてタイムリミットが迫っている。
砂時計の両サイドにはゼレンスキーとプーチンが向き合っている。ゼレンスキーの上にはポニーテールの女性の影が、またプーチンの上にはトランプらしき影がある。砂時計が示すのは戦争の終結か、それとも拡大か、それがわかる時が迫ってきている。
アメリカの選挙は11月だ、仮にトランプが当選した時は終結するのか、それはまだわからない。メキシコの選挙では女性リーダーの当選が有力視されている。そのメキシコの南側には南アメリカとアジア、オーストラリアの地図がある。その両サイドにバイデンと習近平らしき人物が背中合わせでいる。この地域での資源の奪い合いや、主導権の争いが激しさを増しつつ継続すると言うことか大変憂慮すべきであるが、残念ながらこのイラストは、2024年も世界から紛争が絶えないことを予言して見せている。
さて、どうする日本 もう家康はいない、田沼意次の登場は2025年だ、2024年は同じ相良の植田和男氏に頼むか!
第213通常国会が1月26日に召集された。集中審議後に施政方針となり「裏金国会」は異例の幕開けとなった。
能登半島地震の対応が急務であるが、それも踏まえ南海トラフ地震と津波への十分な対策を急ぐよう国に求めたい。
「台湾有事は日本有事」、日本が巻き込まれることは避けられず、また朝鮮有事の恐れもあり、地域の不安定が懸念される。日本は、平和な世界の実現へ向けて献身的な外交努力を行うとともに、防衛態勢の一定の強化を図ることが必要となる。日本は、海洋資源や、鉄•銅など一部の鉱物資源など特定分野では資源を有するが、エネルギー資源は外国頼みが続く。
石油はいまだ主にはアラブに頼り、その確保も紛争中のイスラエルとパレスチナの行方次第で不安定な様相である。日本はアメリカと同盟を組みつつも、半導体や、ロボット、医療分野等で世界をリードし平和と繁栄に貢献する責務がある。
「生きることの大切さ」、わかっていても考える機会は少ない。息を吸って吐いているだけで、生きていると言えるのだろうか
世界が混沌とし、地震大国日本にも次なる危険が迫っている現在、あらためて「生きることの大切さ」を考えなければいけない。
「日本の常識は世界の非常識」とも言われている。しかしながら、日本の文化は高く評価されているのが実情であり自慢である。コロナが収束し海外から沢山の人が今また来日している。海外の人がもう一度行きたい国ランキング1位は日本であり、リピーターの多くが日本の文化を求めてやって来る。安心安全面で、犯罪率が低く夜道を一人で歩ける国は世界では珍しく、子供が一人で登下校することにはもっと驚いている。反面最近では移民が増えて来た町の治安が悪くなっていると報道されており、移民対応もこれからの重要課題の一つとなる。
2024年、そしてこれ以降も、災害への対応、治安、資源の確保など、安心安全な日本を維持発展させることが最も重要で喫緊のテーマであるとの認識を共有し、日本や世界の仲間と力を合わせて、元気に生きていきたい。
437-1421
掛川市大坂5229
0537-72-2171