100 年の想いを未来へ
池新田高等学校 同窓会
2019年に創立100周年を迎えた母校。
池新田高等学校同窓会は、諸先輩方から受け継いできた歴史を未来につぎながら、
在校生、同窓生、地域の皆様に寄り添い、活動しています。
このサイトでは、同窓会の活動や同窓生のニュースなどを発信しています。
2019年に創立100周年を迎えた母校。
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在校生、同窓生、地域の皆様に寄り添い、活動しています。
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同窓生会の皆様へ。
このたびは同窓会総会の開催、おめでとうございます。
私は現在も、モザンビークやマラウィの子どもたちの教育支援に携わっていますが、学ぶ機会が限られている環境にいながらも一生懸命学ぶ子どもたちを見て、学ぶことの大切さを感じるとともに、時々私も池高で過ごした日々を懐かしく思い出します。
今、在校生の皆さんに伝えたいことは、貴重な高校生生活、たくさん学び、そして楽しんでください。池高という場所が、これからの人生の支えとなることを願っています。
同窓生の皆さま、在校生の皆さんのこれからの歩みに、たくさんの希望と笑顔がありますように。
高普18(昭和43年卒業) 栗山さやか(NPO法人アシャンテママ代表)
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高校3年間は人生にとって最も濃い思い出になりますから、一日一日を大切に過ごして下さい。また将来何にどんな風になりたいかも大切な時期と思います。ぜひ世界に羽ばたいて下さい。
今年の4月にカブス(シカゴ)とドジャース(カリフォルニア)の試合が有りました。その前の日に店を貸切で営業しました。この日は日本人選手のみでした。内密という事で写真はありません。その他は菊池選手、前田選手が食事に来てくれました。
皆さんもシカゴに来たら「シカゴ・カルビ」にお立ち寄りください。・
高普20(昭和45年卒業) 戸塚 功(シカゴ・カルビ経営)
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令和7年度池新田高校同窓会総会が盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
池新田高校は大正8年からの歴史を着々と刻んでいます。その長い間、「礼譲」、「勤労」、「協同」の校訓のもとで、池新田高校は地域の高校生が十分な実力・人間力を育む教育を繰り返してきました。毎年毎年優れた人材を社会に輩出してきました。一方で、池新田高校同窓会は、年毎の卒業生を時間軸で結びつけ、卒業生どうしの親睦・情報交換や母校の支援などを推進し続けてきました。
私は、昭和40年4月に池新田高校に入学し、昭和43年3月に卒業しました。広々とした構内をゆっくりと流れた池高時間のもとで、先生方は熱心に丁寧にご指導くださいました。いつも前向きな同級生・同期生にも恵まれました。基礎を学んだ楽しい3年間でした。今、高齢になり、もの忘れが多くなりました。それでも、池高での生活を忘れることは決してありません。池高に進学できて良かったです。
たまたま、この6月1日(日)に浜岡球場で池新田高校対横須賀高校の野球定期戦があり、母校を応援する機会に恵まれました。池新田高校は長打・単打に巧みな走塁を織り交ぜた活発な攻撃で19点をあげました。守備は手堅く5点に抑え、7回コールドで快勝しました。躍動する若きプレイヤーの姿や動きは実にきれいで、たくましく感じました。日頃の熱心なトレーニングが推し測れました。
魅力に富む池新田高校は、卒業生や地域の皆様にとって「応援し甲斐」があり、教職員にとって「教え甲斐・働き甲斐」があり、生徒にとって「学び甲斐」があります。夢と希望を実現する池新田高校のさらなる躍進を願っています。
池新田高校同窓会がますますご発展されますように願い上げます。同窓会役員や会員の皆様のご健康と一層のご活躍を切にお祈り申し上げます。
高普18(昭和43年卒業) 大石修治 (信州大学特任教授、長野県高等教育連携推進役)
2025年6月28日(土)に池新田地区センターで開かれた「池新田高校同窓会・総会」に引き続き、午後5時から「うおとも」(牧之原市地頭方)で懇親会が開かれました。来賓の河原崎全県議会議員がご出席、今年の当番年次委員(30回生・昭和55年卒業)の櫻井秀樹さんら5名にも参加して頂きました。(年次委員の皆さん、ありがとうございました)
懇親会は、赤堀吉史顧問の乾杯の発声でスタート、約2時間にわたり、学校や同窓会の話題などでコミュニケーションを図りました。最後は、横山事務局長の指揮で池高校歌3コーラスを大きな声で歌い母校へエールを送りました。
出席者全員の記念写真を同窓会・村松学事務局員が撮影して懇親会はお開きとなりました。
2025年6月28日(土)「令和7年度池新田高校同窓会・総会」が池新田地区センターで開かれました。
丸尾会長の挨拶では(1)在校生へ寄り添い(2)同窓生の交流を促進しながら、「御前崎市に唯一の県立高校を残すこと」を最大の目的に活動していることを報告。インターネットで総会へのメッセージを送っていただいたアメリカ「シカゴ・カルビ」の戸塚功さん、「信州大学特任教授」の大石修治さん、「モザンビーク・マラウイの子どもたちに学校教育」を続けている栗山さやかさんからのメッセージを紹介しました。
来賓としてご出席いただいた池新田高校後援会会長の御前崎市・下村勝市長から、「干し芋プロジェクト」や「シアワセミライ会議」など池高は地域と積極的につながり御前崎市も助けられている。御前崎市としても池高をバックアップしていきたいとメッセージを頂きました。
総会議事は、(1)令和6年度事業報告(2)令和6年度収支報告(3)令和7年度事業計画(4)令和7年度予算計画を報告し承認されました。
今年の講話は、昨年4月に赴任して、御前崎市に唯一の高校として生き残りを賭けて取り組んできた池新田高校名倉靖之校長から、学校生活、生徒、広報、地域との繋がりなどについて、詳しくお話をして頂きました。
続いてゲスト出演の池高ダンス部18名と応援部3名が登場。同窓会が昨年応援して製作したユニフォームを着用してダンスパフォーマンスや応援エールを披露。池高や御前崎市を元気にしたいというダンス部が総会を盛り上げてくれました。
最後に、来賓の静岡県議会議員 河原崎全さん、赤堀慎吾さんから総会への祝辞をいただきました。
2025年6月7日(土)しぶき祭のいテーマは「深海」。昨年に引き続け1階会議室に「同窓会の部屋」を出展しました。
ことしの同窓生からの出品は、宮本勝海さんの「生物スケッチ画」、松井敏子さん、原口弘美さん「陶芸」、増田幸雄さん「彫刻作品写真」、内藤詩子さん「水墨画」、村松学さん「写真」、宮本里美さん「色紙」、石原久章さん「オペラ・新野の子守歌」、新岡寛大さん・愛理さん「写真」、福井文弥さん「アクアリウム」など11名の作品が集まりました。
会場には、池高生や父兄、同窓生が多数訪れて交流を楽しんで頂きました。御前崎市の下村勝市長にも来場していただきました。
33回目を迎える「池新田高校対横須賀高校 野球定期戦」は、6月1日(日)浜岡球場で開催されました。これまでの両校の戦績は、池高の16勝11敗ですが、ここしばらくは池高の敗戦が続き、昨年7年ぶりに勝利を収めました。
連勝への期待のかかる今年の試合は、2回に連打がさく裂して11点を得点しました。7回表にも5点をもぎとり19対5のコールドゲームで快勝しました。池高投手陣は、松下旬君が先発、5回には村松凛空君に継投して、横校の打撃を5点に押さえました。表彰式後に勝利の喜びを表現した池高チームの笑顔はとても印象的でした。この勢いで夏の甲子園静岡県大会での健闘を期待しています。
なお、池高同窓会では、夏の大会に向けて増田光佑部長、松井唯喜監督に激励金をお渡ししました。
夫婦二人で営んでおり、なるべく地元の食材を利用しなんとかやっております。
料理は御前崎で海も近いということもあり、魚料理が多めかと思います。
なかでも土鍋ご飯が人気で、金目鯛、和風パエリア、魚ではないですけれど、遠州一黒シャモ、季節によっては栗、桜エビ、牡蠣、等を土鍋で炊いて提供しています。
さてさて高校時代は、中学から続けていたバスケットボール部に所属しその時の仲間や、クラスメイトとは今でも良くさせてもらっています。何をしたってわけではないですけれど、同じ時間を一緒に過ごした思い出は年齢を重ねても色褪せないものです。
まさに今いくつか思いだしましたし、書くのもたまには良いですね。
学生の時は、部活動、交友、DJなんかにも手を出し、勉強よりも遊びに時間を費やしていた気がします。駄目なヤツですね。今でも音楽は好きで時間があれば趣味程度ですけれど楽しんでいます。音楽って良いですよね〜。
しかしながらこの歳になってやっと、勉強はなんでもよいので続けていることが大切と身に染みているところです。
高校卒業後は実家が美容室ということもあり、美容の専門学校に行くことを決め東京に。
専門学校では、地方から集まる変わった人、自分より年齢が高い人、お洒落な人、派手な人、賢そうな人、本当に今まで会ったこともないような人達の集団でした。確か二千人位いたような。
今でもこの価値観の違い過ぎる人達との交友関係が大変役に立っています。
ですが卒業後は自分に合ってないと思い、一度も就労しないまま飲食店でのバイトを始めました。音楽は好きで飲食店に勤めながらレコードを買い漁る日々だったことを思い出します。その頃ですか、ようやく自分で考え出す様にもなったのも。
どうやったらクラブでDJできる?とか。
飲食店の事も考えましたよ。
居酒屋、バー、カフェ、レストラン、日雇いでヤマトなんかもやってました。
途中嫌になりアパート解約して、群馬に住み込みで農業にも行きました。
結局東京には13年住み、そこで妻、さっちゃんとも出会い御前崎に戻ってきました。以前から地元で何かやりたいと思っていた為です。
一ヶ月くらいボーッとして、御前崎の先にある海鮮料理屋さんで働かせてもらいそこで魚の勉強をしました。
捌く量が多かったため短期間でそこそこ上達できたと思います。併せてフグの免許も取る事ができラッキーでした。
掛け持ちで菊川のジビエが得意な料理屋さんにも行き学ばせてもらってました。
休みの日は、今は亡きおじいちゃんから引き継いだ畑で自家菜園もやり夫婦で汗かきながら鍬で耕し遊んでいました。
今ではお店を持つ事ができ、ありがたい事に忙しくさせてもらい畑は草でいっぱいになり残念な事になっています。
でもいつか畑を再開したい!!と思っています、約束したので。
自分が今かたちになっているのは、今までの経験の集合体です。突然新しことは自分には難しです。日々何気ない行動が将来役に立つ場合もあります。
自分の理想は、気になった事はできるだけ行動し、思考を常に新しい状態に保つです。
難しいですが、それを継続できたら何か想像もつかない楽しいところへ行ける。と思い行動して確かめている真っ最中です。
当時、専門の時の友人が言ってました。『人生はおもいでづくり』だって。
〒437-1612 御前崎市池新田1832-2
0537-86-9839
卒業して57年が経った。池高での思い出と言えば特に、3年F組の仲間たち、修学旅行、砂丘マラソン、木造二階建て学び舎です。
私もみんなもいい年になりました。そんななかで、いつも心がけてきたことがあります。神頼みです。家の神棚への拝礼や神社への参拝でも必ずお願いしてきたことが3つあります。
その一つは「家族の健康」です。まず自分の健康のことからです。警察官は体力勝負の世界です。
運動はといえばジョギング歴45年です。今も毎朝10キロの日課を続けています。高じてホノルルマラソンやニューヨークマラソンなども完走しちゃいました。
ただ高校のときは部活には、なかなか打ち込めず、ほとんど帰宅部でしたので、片道10キロの自転車通学は唯一の運動だったのかもしれません。
今は、社交ダンス、剣舞、エアロビクス、ジム筋トレもやっています。妻からは「やりすぎよ」と言われます。栄養については、テレビや本のとおり食事バランスに心がけています。話題になったゴマ、生姜、黒酢、きな粉、納豆なども食事に取り入れています。
そんなわけで、二年前に大腸がんを患った以外は大病もなくてほどほど健康です。家族もそうあることをいつも願ってきました。
その二つは「家族の円満」です。妻一人、子ども3人、孫10人ですが、このうち孫には三つ子ちゃんもいます。ただ私は元警察官なので、転勤族として東は東京、西は県境の新居町まで37年間飛び回りました。子どもは転校を繰り返し、その挙げ句に私は単身赴任もあり、妻子には苦労をかけました。家を守って子育てしてくれたのは、妻のおかげです。感謝ですよね。でもいつも家族みんなのことを気にかけ、できるだけ電話や対話することを心がけてきました。
それから今は家庭菜園でとれた新鮮な野菜を子どもと孫に届けています。現在は、妻と二人暮らしですので、お盆やお正月などに集まると、本当にうれしいものです。
その三つは「仕事の円滑」です。学生のときは勉強、現役のときは仕事、退職後もボランティアがあって、いつも課題が必ずあります。順調にいけばいいけど、いくら努力してもうまくいかないときがあって「いやになる」ことがあります。何回か壁があって悩み、ノイローゼ寸前のときもありました。これをいかに克服していくかでした。「治安の闘士」として仕事を簡単に投げ出せません。私が心掛けてきたことは「あきらめるな」「まず一歩踏み出せ」です。この問題解決能力があったからよかったかもしれません。
幸運にも、警察署長もやれた。瑞宝双光章の叙勲も受章できました。特に妻同伴で皇居に行って天皇拝謁できたことは大きな喜びでした。
こうしていままで大過なくやってこられたのは、池高同級生やいままで接してきたみなさんのおかげです。
神頼みとその実践とは切り離せません。ある本では「幸せ」とは、死ぬときに「あーあ 俺の人生 幸せだったなあー」と思えることだそうです。
これからも、神様へのお願いとともにそれに向かって努力していきます。
〒437-1501菊川市丹野481-7
TEL 0537-73-7889
高校生当時は柔道部、美術部に所属しており、特に幼少期から絵やイラストが大好きでした。
それもあり、「イラスト等を仕事にできる仕事って何だろう?」と調べ、「工業デザイン科」という工業系のデザインの勉強をする短大に進学しました。絵の勉強をしながら、工業系の会社を選択するというものでした。例えば分かりやすいものだとクルマのデザインとかですね。
そして短大で勉強する中で「広告デザイン」というお仕事を知りました。
簡単に言うと折り込チラシやポスター、テレビのCM等、企業の広告全般をつくるお仕事で、自分が売りたい商品を買ってもらえるよう、もしくは知っていただいて集客できるように、宣伝や告知をするお仕事ですね。
当時はまだアナログの手書きでチラシやポスターを制作していた時代だったので、広告代理店に就職してからも毎日楽しく遅くまで仕事をしていた事を覚えています。その後Macというパソコンでデザインを制作するようになりました。
広告代理店3社に務めて、30代中盤ぐらいに独立して自分の会社「グランロード」を設立しました。
とにかく毎日忙しかった記憶しかないですが、徹夜で朝方までの仕事は当たり前で、日々過ごしていましたが、好きな仕事だからこそまったく苦にはならなかったですね。むしろ毎日が楽しかった(笑)
そんなお仕事をする中で、あくまで趣味でやっていた2つの事がありました。
ひとつはマンガやイラストを書く事、そしてもうひとつは格闘技です。
格闘技は近くにあるスポーツジム「スポーツクラブS&C」さんで週1回レッスンとして元プロボクシングの日本チャンピオンの方が教えてくれていました。
毎週レッスンを受けるうちに自分で試合もしたくなり、OFB(おやじファイトボクシング)という全国の大会に出るようになりました。
40才代のカテゴリで私が45才から49才ぐらいまで全国の大会を飛び回っていましたね。
ウェルター級とスーパーウェルター級の全国中部地区で2階級制覇のチャンピオンになり、最終的に日本一の決定戦で、プロボクサーの聖地である東京の後楽園に行かせて頂き、日本タイトル戦も3回挑戦させていただきましたが、残念ながら日本一は獲れずに終了しました。
結果は伴わなかったですが、とても楽しかったのは、50才間近で、中学や高校生のような青春の日々を体験させていただいた事ですね。
これから社会に出る方、もしくは進学する方達にお伝えしたいのは、仕事でも遊びでも、パートナー選びでも、何でもそうですが、心から大好きな物事や人と関わることです。
そうすれば人生は数倍から数十倍楽しく、幸せな毎日になることは間違いないと思います。
「自分の大好きを探す」 これが若い方達の未来を大きく幸せにしていく秘訣だと今でも信じていますね。
〒439-0026 菊川市西横地18-1
㈱グランロード tel.0537-26-9001
【検索】グランロード
故郷である菊川市嶺田にパン工房ふくふく堂を開店して2年になります。
池新田高校に在籍していた3年間は、高校から始めた吹奏楽に費やした時間が、記憶のほとんどを占めています。
当時一緒に音楽に向き合った仲間たちは、それぞれの道に進んだ今も、大切な私の友人です。
卒業後は浜松にある製菓製パンの専門学校に進学し、同じ浜松に拠点を置く製パンの会社に就職しました。
結婚、出産を機に10年以上製パンの仕事からは離れておりましたが、子どもたちの成長もあって再び製パン業界に復帰。良い職場や仕事仲間にも恵まれ、このまま会社組織の一員として頑張っていく未来も見えてきたころ、実家近くに空き店舗が出たことを知りました。
私はまだ独立できるような実力ではないと思いましたが、「これが最後のチャンスかもしれない」とも思いました。
いつか自分の人生の終幕のときに、「夢を叶えてみたかった」と言って終わるのだろうか。叶えられなかった理由はなんだろうか。ただ自分に踏み出す勇気がなかったことを、実力、お金、家族、健康、年齢、もっともらしい理由をつけて目をつぶる、そんな終わり方を自ら選ぼうとしている私は、子どもたちの目にどんな風に映るのだろうか。
そこまで考えたところで、独立を決めました。
今振り返ると無謀な挑戦ではありましたが、力になってくれたのは、高校時代の友人たちでした。2時間もかかる距離をわざわざ出向いてくれたり、何度も相談を聞いてくれたり、四半世紀も前に数年学び舎を共にしただけの私のために、入れ替わり立ち代わり。
なんとか軌道にのせられたときには、一緒に飛び上がるほど喜んでくれました。
今たくさんのお客さまに出会い、日々パンを焼いて暮らすことができるのは、数え切れないほどの応援や協力があってのことです。
その感謝と喜びを忘れず、この町でこれからもお客さまの日常に溶け込むパンをお届けしていきたいです。
鈴木麻希(旧姓・山内)
2000年(平成12年)卒業
パン工房ふくふく堂 店主
菊川市嶺田286-1
人生流転 本間克彦 高普10(昭和35年卒業)
昭和35年3月、新社会人として静岡の会社に就職した。寮生活である。12月、初めて竜爪山に登った。好天に恵まれ特大の楽しさと喜び、深い感動と達成感に胸は大きく膨らんだ。それ以来、今日に至るまで山に登っている。
昭和51年、34歳で浜松に「ほんま酒店」を開業、妻と懸命に働いた。その後、酒類業界は社会状況の劇的な変化によって衰退し、平成16年廃業した。その間、昭和61年には、岳友3人と「青春山の会」を結成し、名だたる多くの山へ登った。平成18年に休会となった。それまでの登山の記録を平成14年に「私の山 みんなの山」、平成21年には「私の山 みんなの山 四季の山うた」と題して自費出版した。
平成20年1月、町内にハイキングクラブを立ち上げ、中高年者男女で年6回、近隣の里山や低い山の登山を楽しんでいる。他方、平成19年11月、民生委員を80歳まで15年間務め貴重な体験重ねた。
酒屋を廃業してから無職なり、62歳の時にマンドリンを習いハーモニカと共にデイサービスや老人会などへ歌のボランティアを始めた。季節に相応しい童謡や唱歌を歌うのである。73歳になってクロマハープを学び、3つの楽器を奏でて歌のボランティアを続けている。
令和元年1月、町内に「歌声サロン」を作って高齢者ばかり月1回公会堂で歌っている。
数年前から、これまで生きてきた人生への「報恩感謝の念」を深く考えるようになった。家族、故郷の人々、山仲間、地域の人たちへの感謝と恩返しである。池高創立100周年記念事業募金では、躊躇なく応じた。それは学び舎への感謝と恩返しであった。町内の寄付などにも進んで応えた。それらは、みんな自分が生きている間に「報恩感謝の念」として実行したいと考えているからである。
登山と歌のボランティアと歌声サロン、これからも長く続けていきたいと思っている。
〒435-0052 浜松市中央区天王町1411-1
電話053-421-9386